コテンラジオ「吉田松陰」編:僕がCOTENで働こうと思ったきっかけ
吉田松陰の情熱が、日本を変えた
コテンラジオとの出会い
昨日、おそるおそる「Substuckの中、コテンラジオを聴いている方はいますか⋯?」と尋ねてみたら、意外と多くの方が反応してくださってうれしかったです!うれしすぎて、勢い余ってコテンラジオについて記事を書いてみたくなりました。
僕は普段、コテンラジオを手掛ける株式会社COTENで歴史調査の仕事をしています。(現在、コテンラジオに関する調査には携わっておらず、「女性の社会参与」や「ポスト資本主義」など、COTENが数年かけて調査する大きなテーマの研究をしています)
そんな僕ですが、COTENとの出会いはもちろん(?!)コテンラジオでした。
生まれて初めてコテンラジオを聴いたのは、コロナ禍が吹き荒れる頃でした。そしてそれは、「吉田松陰」編だったのを覚えています。
今回は、コテンラジオの記念すべき第1話目でもある「吉田松陰」編について、印象に残っていることを書いてみたいと思います。
30年の生涯が、明治維新を生んだ
吉田松陰は1830年に長州藩(今の山口県)の下級武士の家に生まれ、1859年に処刑された人物です。(日本史の授業で習った、井伊直弼による「安政の大獄」ってやつですね。)
たったの30年。しかも、彼が郷里で実質的に「松下村塾」を主宰していた期間は、わずか1年あまりにすぎないといわれます。
それなのに、その短い期間に集った若者たちのなかには、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、木戸孝允(桂小五郎)といった、明治維新を動かし、明治政府の中枢を担うことになる面々がいた。
「30歳で死んだ田舎の若者が、なぜ、たった1〜2年の間に、近代日本を作った英傑たちをこれほどまでに輩出できたのか?」
これが、吉田松陰という人物を考えるときに、僕がいつもぶつかる最大の謎なのです。
その① 「諸君、狂いたまえ」──狂気としか言いようのない純粋さ
松陰を語るうえで欠かせないのが、彼自身がよく使った「狂」という言葉です。
ペリーの黒船を目にした松陰は、弟子の金子重之輔とともに、夜中に小舟を漕いで黒船に乗り込もうとします。密航は当時の重罪。失敗すれば死罪を免れません。それでも彼は「自分の目で世界を見ないかぎり、日本は変えられない」と考え、本当にやってしまう。
このエピソードを知ったとき、僕は思わず「やばい人だ……」と呟いてしまいました。でも次の瞬間には、その「やばさ」に、たまらなく惹かれている自分がいたのです。
松陰は弟子たちに、「諸君、狂いたまえ」と言ったとされます。合理的に考えれば、これは無責任な煽動です。でも、彼自身がまさに自分の人生で「狂って」みせた人だからこそ、その言葉には一切の嘘がない。
僕がこの人物に何度も立ち戻ってしまうのは、たぶん、自分のなかにある「合理的に生きなければ」という重力に、彼の生き方が真っ向から疑いを投げかけてくるからだと思います。
その② 弟子一人ひとりを「人物」として見たまなざし
もう一つ、僕がいちばん好きなのが、松下村塾での松陰と弟子たちの関係です。
松陰は身分や年齢で人を区別しませんでした。武家の子も農民の子も、関係なく「君は何が好きか、何が得意か」を問い、それぞれの個性を伸ばそうとした。高杉晋作には行動力を、久坂玄瑞には思想を、伊藤博文には実務力を見出し、それぞれに合った育て方をしたといいます。
塾というよりも、若者たちと一緒に勉強し、彼らひとりひとりに本気で向き合った「兄貴」のような存在だったのです。
「あの先生がいたから、自分は自分でいられた」──そう思える人物に出会えた経験は、誰にとっても人生の宝物ではないでしょうか。
たとえば高杉晋作の人生を見てみると、彼の人生を決定づける大きな決断の背景にも、吉田松陰の言葉があったことがよくわかるんですね。松陰と晋作が一緒に学んだ期間はそれほど長いものではないですが、その時に刻み込まれた言葉が晋作の人生を変えて、それが明治維新のかたちを決定づけていく⋯その事実に、驚かされます。
その③ 「至誠」と、留魂録──最後まで燃え尽きた人
松陰の人生を貫く言葉に、「至誠にして動かざる者は未だ之あらざるなり」というものがあります。 「本気で誠を尽くして、それで動かない人なんていない」という、ほとんど無謀ともいえる人間への信頼です。
そして、処刑前夜に弟子たちに書き残した遺書、『留魂録』。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
──自分の体がこの世から消えても、魂は弟子たちに残しておきたい、と。
この一節を知ったとき、僕の中で松陰像が決定的に変わりました。それまで「過激で純粋な人」というイメージだったのが、「自分の命のすべてを、未来世代になげうった教育者」として立ち上がってきたのです。
おわりに:歴史を動かすのは、人間の熱
歴史を学んでいていつも思うのは、「歴史を動かすのは、結局のところ、人間の思想と情熱なのだ」ということです。(もちろん、それを実現する策略や経済力も必要です。しかし、そもそも思想や情熱がないと、そういった現実的な力は役に立ちません)
吉田松陰は、その極北のような存在だと思います。30年しか生きなかった一人の若者の熱が、150年以上の時を越えて、いまの僕の胸を焦がしている──そのこと自体が、歴史というものの不思議さを物語っている気がします。
もし松陰のことをあまり知らないという方がいたら、コテンラジオの「吉田松陰」編、ぜひ一度、お時間のあるときに聞いてみてほしいなと思います。 僕がCOTENで働きたいと思った理由のひとつも、たぶんここにあります。
関連する、「高杉晋作」編、「ペリー」編、「西郷隆盛」編もぜひ、おすすめです!
※今後も、COTENでのことや、人文知を仕事や人生に活かしていく方法を書いていきたいと思います。よければご登録をお願いします。





岡本太郎は昭和の吉田松陰ですね!🔥
彼の以下の言葉が大好きです。
たとえ夢が成就しなくとも、夢に向かって精一杯挑戦した。
それで爽やかだ。
そして、吉田松陰が散り際も毅然としていたのは、ソクラテスのようで、人として本当に美しく、魂が武士だったと感じています!🔥
品川さん、おはようございます。僕のコテンラジオとの出会いは、知り合いの農作業のお手伝いがきっかけでした。何日もかかる大変な作業でしたが、ある時、知り合いがモバイルスピーカーから流してくれたコテンラジオ。作業しながら、楽しく学びました。吉田松陰の生き方には、美学や武士道みたいなものを感じました。考えてしまいがちな合理性や普通という見えない枠を、まるで存在しないかのように飛び越える発想と行動。突飛に見える行動もあるけど、それは人間の味かもしれませんね。コテンラジオを知って3年くらいですが、今も最新のエピソードはもちろん、これまでのエピソードも繰り返し聴いています。品川さんにも感謝!