難しそうな「哲学」を10倍たのしむ【3つの視点】
20年間、哲学を独学してきた僕がいちばん大事だと思うこと
哲学はつまらない? それ、めちゃくちゃもったいない誤解です
「人文知が大事なのはわかるけど、哲学は難しそう…」
これ、僕が知人からよく言われる言葉です。歴史は好きで、コテンラジオも欠かさず聴いている。人文知やリベラルアーツの本も読みはじめた。でも、哲学だけはどうもとっつきづらい、と。
「プラトンの『イデア』とか、カントの『アプリオリな総合判断』とか聞いても、『は?』って感じになっちゃう」
わかります。めちゃくちゃわかります。
僕自身、大学では哲学を専攻していましたが、正直、大学で習う哲学はつまらなかったんです。だから、僕は大学では哲学とは違う道(法学)に進みました。
でも、いまの僕は、COTENの中でも特に哲学や思想について調査・研究することを生業のひとつにしています。ポッドキャスト番組「日本一たのしい哲学ラジオ」もやってます。
いまは、心の底から、「哲学っておもしろい」と思っています。
では、何が変わったのか? 今日はそんな話です。
「哲学=難しい・面白くない」は思い込み
結論からいうと、「哲学はつまらない」というのは、ただの思い込みであり、強烈な先入観です。
なぜそんな先入観が生まれるのか。 僕の見立てでは、世の中の哲学の教科書や入門書の大半が、「思想や学説」だけを切り出して提示するからです。
「プラトンのイデア論とは、現実世界の背後に永遠不変の『イデア界』が存在し、現実の事物はその不完全な影にすぎないとする思想である」
・・・うん、たしかにそのとおりなのですが、これを読んで「おお〜なるほどおもしろい!」と膝を打つ人は、なかなかいないですよね。
哲学をずっと勉強していてつくづく思うのは、「だれだれが、こう言った」という情報には、ほとんど何も価値がないということ。
国語でならう「漢字」、物理でならう「法則」、歴史でならう「出来事」ならば、教科書に書かれた太字の内容を覚えるだけでも、何かしら仕事や生活に役に立つかもしれません。
でも哲学の場合、「だれだれが、こう言った」という情報は、ただのフィクションにしか思えない、現代を生きる日本人にとってはほぼ無価値な情報です。
哲学を立体的に味わう「3つの観点」
そこで僕がおすすめしたいのは、哲学を①時代背景、②人生、③思想という3つの観点から立体的に学ぶことです。
①時代背景 哲学者が生きた時代は、どんな時代だったのか。何が起きていたか。
②人生 その哲学者は、どんな人生を歩み、何に悩み、どんな問題設定をして、何と格闘したのか。
③思想 その上で、彼/彼女は何を考え、どんな思想を攻撃し、どんな思想を打ち立てたのか。
この①と②を踏まえてから③に入ると、その思想が立体的に浮かび上がってくるんです。 「なぜこの人は、こんなテーマにここまでこだわったのか」「なぜこの問いを発さずにいられなかったのか」――哲学者の問題意識が、自分のものとして響いてくる。
これらの視点から哲学をながめてみると、その楽しさは決定的に変わります。 試しに、プラトンを例にとってみましょう。
プラトンを立体的に見るとどうなるか
①時代背景:「相対主義」が席巻する、衰退するアテネ
プラトンが生まれたBC427年、アテネはペロポネソス戦争のさなかにありました。 実に27年も続いたこの戦争で、アテネはついに敗北します。最盛期は過ぎ、社会は混乱と分断のただ中にあった。
そんな時代に、お金で弁論術を教える「ソフィスト」と呼ばれる職業教師たちが台頭します。彼らは「人間は万物の尺度である」(プロタゴラス)という言葉に代表されるような、価値観なんて人それぞれだという「相対主義」を広めました。
その結果、社会では「中身よりも、いかに弁が立つか」「真実よりも、いかに大衆を納得させるか」が幅を利かせるようになる。かっこいいことを言う者・話のうまい者だけが勝つ世界。
――これって、SNSが席巻し、「人それぞれ」「それってあなたの感想ですよね」が口癖のように交わされる現代日本に、似ているとは思いませんか?
②人生:政治家志望からの「眩暈」と12年の遍歴
プラトンは名家の生まれで、本来は政治家になる既定路線にいた人でした。当時のアテネで素質に恵まれた若者は、政治家になるのが当たり前だったのです。
ところが、です。 プラトンが28歳のとき、敬愛するソクラテスが、不正な裁判によって死刑にされてしまう。 ソクラテスは生涯、「金や名誉に汲々とするな、魂をできるだけ善いものにせよ」と説き、その言葉どおりに生き抜いた人でした。その正義の人を、衆愚化した民主政が法の名のもとに殺してしまった。
プラトンはこの衝撃を「眩暈がしてきた」と書き残しています。 そこから40歳までの12年間、彼は地中海をひたすら放浪します。エジプトを訪れ、イタリアでピュタゴラス派と交流し、シケリア島(現在のシチリア)の僭主に政治改革を進言しようとして、逆鱗に触れて奴隷として売り飛ばされそうにもなった。 晩年も、もう一度シケリアで政治改革に挑むものの、無残に失敗する。
完璧な聖人なんかじゃない。めちゃくちゃ葛藤して、迷って、現場で派手にコケている、一人の生身の人間なんです。 ベンチャーに転職してCxOで入ったら中はボロボロだった、なんていう現代の経営者の悲哀すら、どこか重なって見えてくる。
③思想:「人それぞれ」では済まさなかった魂の叫び
40歳。プラトンはようやく一つの結論にたどり着きます。 「ソクラテス的な哲学に裏打ちされた政治こそが、世界を変える」――そう腹をくくり、アテネ郊外に学園アカデメイア(後に約900年続く!)を創設するのです。
ここでようやく、イデア論や、哲人王、有名な「洞窟の比喩」が生まれてきます。 洞窟の比喩は、人間を、子どもの頃から手足を縛られて壁に映る影絵だけを見ている囚人にたとえる思考実験です。世間で価値あるとされる富や名誉は、所詮、壁に映る「影」にすぎない。本物(イデア)を見るためには、洞窟の外に出る勇気がいる――。
イデア論も哲人王も、「人それぞれ」「強い者勝ち」では絶対に済ませない、人類に共通する『善きもの』があるはずだという、プラトンの魂の叫びそのものだったわけです。
※プラトンについては、「日本一たのしい哲学ラジオ」のプラトン編もどうぞ。
思想が「自分ごと」になる瞬間
①と②を経由してから③を読み直すと、イデア論の輪郭がまったく違って見えてきませんか? 「現実の背後にイデア界がある」というおとぎ話みたいな主張も、衰退する社会のただ中で、敬愛する師を理不尽に奪われた一人の人間が、それでもなお『普遍的な正しさ』を信じようとした祈りに見えてくる。
これって、現代を生きる僕たちにとっても、まったく無縁の話ではないですよね。
そしてもう一つ重要なのは、これらの3つの視点は、「歴史のB面」がに重なってくるということです。
表面に現れた事件や戦争(A面)の背後には、それを突き動かしている思想(B面)が必ず流れている。プラトンを立体的に理解できると、十字軍も、宗教改革も、近代の啓蒙思想も、なんと現代のリベラリズムの議論ですら、その思想的水脈の延長線上にあることが見えてきます。
哲学を、思想だけで学ばないこと。 時代背景と、その人の人生と、合わせて味わうこと。 たったこれだけのことで、2500年前の言葉が、いまの自分の人生と歴史の見方を変える学びに変わります。
人生は短い。でも、この奥義さえ知っていれば、世界中の哲学者たちが、僕たち一人ひとりの一生の対話相手になってくれる。 これほど贅沢で、豊かなことが他にあるでしょうか。



「時代背景」「人生」「思想」という3つの補助線を引くことで、無味乾燥に見えがちな学説が一気に「生身の人間による魂の叫び」へと変わる。哲学を立体的に味わうための鮮やかなアプローチに、深く感銘を受けました。
特にプラトンのイデア論を、単なるおとぎ話ではなく、相対主義が蔓延する衰退期のアテネで「師を理不尽に奪われた男が、それでも普遍的な正しさを信じようとした祈り」と読み解く視点には、胸が熱くなるものがあります。SNS時代の現代日本とも重なり、2500年前の問いが恐ろしいほどのリアリティを持って迫ってきました。
表面的な歴史の出来事(A面)の背後を流れる「思想の水脈(B面)」を捉えることこそ、人文学を学ぶ醍醐味ですね。この3つの観点という奥義を携えて、様々な哲学者たちと一生の対話を楽しんでいきたくなりました。素敵な考察をありがとうございます!
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